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御言葉にいきるBIBLE MESSAGE

神の作品であるあなた

堺福音教会 主幹牧師 我喜屋 明

二つのものをひとつに

 さて、初めに読んだエペソ書のみ言葉のすぐ後には、「しかし、かつては遠く離れていたあなたがたも、今ではキリスト・イエスにあって、キリストの血によって近い者となりました。実に、キリストこそ私たちの平和です。キリストは私たち二つのものを一つにし、ご自分の肉において、隔ての壁である敵意を打ち壊し・・」(二章十三節~十四節)と、二つのものを一つにしたと記されています。神様から遠く離れていたものが、神様の近くになり、神様との間にあった隔ての壁が壊されました。ですから、神様の作品である私たちは、どのようにして良い行いをすればいいのか心配する必要が無くなりました。なぜなら、二つのものが一つにされたからです。

 

 イエス様が十字架につけられた時、イエス様の体は突き刺され、砕かれました。その時、神殿の至聖所の厚い幕が真二つに裂けました。至聖所には神が臨在すると考えられていましたが、そこに至る仕切りが無くなったのです。それは一つの象徴ですが、私たちのいる場所と、神様のおられる所にあった壁は無くなったことを意味しています。

 

 イエス様は、二つに分かれていたものを一つにされました。似ているようにしたのではなく、お互いに相いれないもの、つまり、現実に見える世界で、もがき苦しんでいる自分と、神様がおられる世界で輝いている自分がひとつになりました。御霊はそこで私たちのうちに働くので、信仰の次元に立って考えることができます。イエス様の復活は、様々な制約を打ち破ってくださいました。神様の支配の世界と、私たちがもがき苦しんでいる罪の世界は一つになりました。

 

神が共にいるだけで十分

 私たちは、何かの願いや必要があれば、そのことを具合的に祈り求めます。ある五年生の男の子は、卓球の選手になって、いつも「どうか試合に勝てますように」と祈りながら頑張ってきたそうです。でも、必ずしもいつも勝てるとは限りませんね。彼はその中で、たとえ勝てなくても、神様に守られて、神様の子どもだからそれでいいと分かったと言いました。とても五年生とは思えないような話で、感動しました。「僕は、神様に愛されている神様の子だから、それがもっとも大切な事なんだ」というのです。こんなことって、大人でも、子どもでも、誰でも体験できることなのですね。神様は、私たちの真剣な祈りに対して、ただ単にその願いに応えるだけでなく、もっとも大切なことを理解させてくださり、全人格を抱擁してくださるのです。

 

 もし、物事が自分の考えている通り進まなくても、イエス様は、「明日のことまで心配しなくてよいのです。明日のことは明日が心配します」(マタイ六章三十四節)と言われるのですから、考え過ぎなくていいのです。何かにつまずいて、落ち込むことがあっても大丈夫です。神様が用意しておられる恵みの祝福が私たちの上に雨のように降ってくるなら、それを受け止めるだけでいいことになります。何を「行う」かを考えて悩み、思うようにいかないと落ち込む必要はないのです。

 

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