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御言葉にいきるBIBLE MESSAGE

神の作品であるあなた

堺福音教会 主幹牧師 我喜屋 明

 これらの言葉を通して、神様は私たちを選び、罪の赦しを経験させ、奥義を理解させ、聖霊による証印を押して、御国を受け継ぐものとなったことが分かります。つまり、それが私たちのアイデンティティになっているわけです。かつては、罪の中に苦しんでいる者でしたが、一章七節に「このキリストにあって、私たちはその血による贖い、背きの罪の赦しを受けています。これは神の豊かな恵みによることです」とあります。私たちは、イエス・キリストによって贖われた者なのです。この「贖い」という言葉は、聖書以外では使われない、なかなか難しい言葉だと思いますが、二つの意味があります。

 

 一つ目は「買い戻す」という意味で、一度失われたものであっても、代価を払って再度自分のものにするという意味です。罪のために神様から離れてしまった私たちを、イエス様はご自身のいのちを代価にして、神様の所有にしてくださいました。それで、贖われたあなたは、「私は神様のもの」と言ってよいわけです。もう一つは「覆う」という意味で、英語ではatonementと言います。イエス様が罪ある私たちを覆って下さるので、神様は私たちを見る時に、あたかもイエス様をご覧になるように、罪の無い者のように見て下さると言う意味です。これは、感覚的にとらえやすい言葉だと思います。

 

 ただ、「あなたを私のものにした」と神様が言って下さったとしても、自分の心を見つめると、罪の性質が残っていることが分かりますので、なかなか簡単に、その言葉を受け止められないかもしれません。しかしながら、イエス様によってその罪の性質が覆われているので、天の父なる神様は私のことを、あたかも罪の無いイエス様と同じように見て下さると言われています。ですから大胆に、「私は罪の無いもの」と言っていいのです。それが「十字架」です。

 

 パウロは、Ⅱコリント五章十六節で、「ですから、私たちは今後、肉にしたがって人を知ろうとはしません。かつては肉にしたがってキリストを知っていたとしても、今はもうそのような知り方はしません。」と言いました。それでいいのです。自分のことや、罪ある人のことを、常識的な、生まれたままの考えで考える必要はありません。十七節には「誰でもキリストのうちにあるならその人は新しく造られた者」とありますから、新しい神様の基準で見ればいい訳です。そのようにして、あなたのアイデンティティを確かめていただきたいと思います。

 

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