福音とは何でしょう。福音とはいのちの川です。めぐみの流れと言っても良いでしょう。私たちの教会の会堂のロビーにあるステンドグラスには「恵みの流れ」というタイトルがつけられていますが、福音を表しています。イエス様が十字架を通られて、復活しました。そして、栄光の冠を受けられ、聖霊の注ぎがあって、再臨が約束されました。この流れが福音です。私たちはイエス様に出会って、福音の流れの中に生かされています。そこから「いのちの水」を今日も飲んでいます。
それは、決して尽きることのないもので、買うことのできないものです。イエス様は、「わたしが与える水を飲む人は、いつまでも決して渇くことがありません」(ヨハネ四章十四節)と言いましたが、マリアもそれを飲み、イエス様の十字架と葬りを知っていて香油を注いだのです。
彼女はイエス様に香油を注ぎ、葬りの準備をしながらイエス様と共におりました。イエス様は十字架に架かられて葬られ、よみがえられましたが、キリストにつく者はイエス様と共によみがえるのです。マリアはその真理に目が開かれました。彼女は、このお方とひとつになることを望み、このお方と死と葬りを共にし、新しい「いのち」を受けたいと思いました。そして、永遠の「いのち」を受けて生きる者になりたいと願ったのです。彼女の、その信仰よる愛の証としてナルド香油の入った壺は砕かれました。それがイエス様に献げられ、その香りが福音として世界中に広がり、時代を超えて、あなたに届けられました。
ヨハネの黙示録二十二章十七節の御言葉を見てみましょう。
御霊と花嫁が言う。「来てください。」これを聞く者も「来てください」と言いなさい。渇く者は来なさい。いのちの水が欲しい者は、ただで受けなさい。
この花嫁は教会のことです。マリアはその先駆けのように、キリストの花嫁となったと言ってもよいと思います。その意味では、結婚のために備えられていたナルドの香油は、想像をはるかに超えた最高の婚姻のために用いられました。イエス様は埋葬のためと言われましたが、実は、ナルドの香油は永遠の婚姻とも言える、イエス様といっしょになるために用いられたのです。福音は過去の遺産ではなく、またいつか実現するであろうという未来の物語でもなく、現実として「いのち」の香りを放つために、器は砕かれなければなりませんでした。