信仰の告白と福音
彼女のその信仰が、香油を注ぐという形で表現されました。自分が結婚のために取っておいた香油を、彼女の将来の結婚という願いを断念して、その希望を我慢して献げたのでしょうか。もちろんみ言葉から、彼女のそのような悲壮感は感じられません。「世界中どこでも、この福音が宣べ伝えられるところでは、この人がしたことも、この人の記念として語られます。」(マタイ二十六章十三節)と書かれており、とても自然な様子です。
また、マタイの福音書とマルコの福音書にはなくて、ヨハネの福音書にだけある言葉が、「家は香油の香りでいっぱいになった。」という表現です。なんと美しいことばでしょう。これを書いたヨハネは、この人のしたこと・・・非常に高価な香油を注ぐという最高の奉仕、麗しい献身と、香油の香りにたとえられる最も大切な「永遠のいのち」・・・を言いたかったのではないかと思います。
主の足もとに 身をかがめて
ひれ伏し 礼拝ささげます
香油を注ぎ 涙の髪で
拭う 愛する主の御足を
心砕き 栄光脱ぎ捨て
ただ あなたを求めます
あなたの御顔 慕い求めます 賛美ささげます
(佐々木 潤、長沢 崇史 作詞作曲)
これがマリアの姿でした。彼女は持っていた器を砕いてイエス様に香油を注ぎ、彼女の涙で、測り知れない神様の力が見えるようになりました。土の器が栄光に輝くものへとなったのです。