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御言葉にいきるBIBLE MESSAGE

器を傾けたマルタ

堺福音教会 牧師 福留 正明

 この場面がどのような時であったか、ご理解いただけたと思います。イエス様はこの家で、「過ぎ越しの祭りの六日前」を過ごされ、その翌日にエルサレムに入って行かれました。そして、ご存じのように、イエス様は過ぎ越しの祭りの日に十字架に架けられて三日目に墓からよみがえられ、歴史を大きく変えました。あの十字架が立てられたゴルゴタへ向かわれる直前を過ごされたベタニア、そこで滞在されたベタニア・ファミリーの家。なぜこの重要な時を、この家に滞在され、ここからエルサレムに踏み出していかれたのでしょうか。そのつながりは、何だったのでしょうか? それが今回の話のキッカケです。

   
作り変えられる主

 この物語に出てくるマリアは、マルタの妹と言われており、高価な香油をイエス様に注ぎましたので、とても有名で、誰もが知っておられることでしょう。ルカの福音書十章四十一、四十二節には、マリアはイエス様の足元に座ってイエス様の話を聞いていたと書かれており、イエス様は「必要なことは一つだけです。マリアはその良いほうを選びました。それが彼女から取り上げられることはありません。」と言われ、褒められたような書き方になっています。それで、み言葉を聞くことが最も大切な事という事が説教に使われたり、接待に忙しくしていたお姉さんのマルタと対比されて、あなたは「マリア型」か、それとも「マルタ型」かなどと言われたりします。

   

 確かに、ルカの福音書十章四十節をみると、「マルタはいろいろなもてなしのために心が落ち着かず、みもとに来て言った。『主よ。私の姉妹が私だけにもてなしをさせているのを、何ともお思いにならないのですか。私の手伝いをするように、おっしゃってください。』」とあります。これが頑張り屋さんのお姉さんのマルタの姿で、少しイライラしていたのでしょうか、妹を非難する言葉まで口にしてしまいした。

   

 だれでも、時々そんな姿になることがあると思うのですが、聖書はそれ以上詳しく語っていません。ただ、冒頭に読んだヨハネの福音書十二章では、マルタの様子は決して尖った器には見えませんし、イエス様が家に来られた時のことを、ヨハネ十章二十節には、「マルタは、イエスが来られたと聞いて、出迎えに行った。マリアは家で座っていた」とあり、ルカの福音書十章三十三節にも、「イエスはある村に入られた。すると、マルタという女の人がイエスを家に迎え入れた」とあります。これらから、マルタはいつもイエス様を迎える役目をしていたことが分かります。

   

 また、ルカの福音書十章四十一節を見ますと、イエス様はマルタに、「マルタ、マルタ」と二度も名前を読んで呼びかけています。イエス様が、このように二度呼びかけられることは聖書の中ではとてもめずらしいので、特別な意味があると思います。

   

 マリアが褒められているようなことを読みますと、マルタは叱責されているかのように考えてしまう人もいると思うのですが、私にはそのような様子は全く感じられません。むしろ、やさしくマルタを受容しているように思われるのです。つまり、マルタはイエス様の語りかけによって、新しく作り変えていただいたのではないかと思います。あるいは、もともと彼女の中にあった、やさしい心があふれ出るようになったと言えるかもしれません。イエス様のこの時の語りかけは、きっとマルタの新たな始まりになったのだと思います。ここからマルタは変わりました。

   

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