宣教献金の祝福

1.惜しむ心

 まず、ローマ10:8-17を読みましょう。「では、どう言っていますか。『みことばはあなたの近くにある。あなたの口にあり、あなたの心にある。』 これは私たちの宣べ伝えている信仰のことばのことです。なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。聖書はこう言っています。『彼に信頼する者は、失望させられることがない。』ユダヤ人とギリシヤ人との区別はありません。同じ主が、すべての人の主であり、主を呼び求めるすべての人に対して恵み深くあられるからです。『主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる。』のです。しかし、信じたことのない方を、どうして呼び求めることができるでしょう。聞いたことのない方を、どうして信じることができるでしょう。宣べ伝える人がなくて、どうして聞くことができるでしょう。遣わされなくては、どうして宣べ伝えることができるでしょう。次のように書かれているとおりです。『良いことの知らせを伝える人々の足は、なんとりっぱでしょう。』しかし、すべての人が福音に従ったのではありません。『主よ。だれが私たちの知らせを信じましたか。』とイザヤは言っています。そのように、信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです。

 

 もうひとつ、イギリスで若い人たちへの伝道者をしていた私の友人が書いた「勇敢に前進するために」という本の一節を読みたいと思います。

 

 「私たちの社会はいわゆる“むさぼり”であり、何でも貪欲に自分のものにしたいという気持ちが強く、何でも惜しみなくということは、とても難しく思えます。最近は、多くの人が、どのような生き方をすべきかと考えることは少なくなっており、そのために、これまでに経験しなかったほどに人々は物惜しみするようになっていると思います。そのことは、教会にも大きな影響を及ぼしています。最近のイギリスの教会は献金については、驚くほど悪い記録を更新しています。どうか、“惜しみなく与える”ことが必要です。与えることが何か悪い結果をもたらすとしたら、本当にそれが起こるほど与えてみてほしいのです。神の国の資金が必要となった時に、何をすべきか神様に尋ねてみて下さい。どのような状況になってもやってみてほしいのです。どうか、神様の声を聞いてください。そして、たとえ多すぎるように感じたとしても、神様の言われるとおりに献げてみて下さい。あなたのお金を献げることができるのは、あなただけです。それは他の人にできない事です。これまでにしてきたことを超えて、やってみて欲しいのです。お金を献げることほど、気持ちを高め、解放することは他にはありません。それは喜びをもたらすものであり、私たちの貪欲な社会を変えてしまうものなのです」

 

 彼は、「与えることが何か悪い結果をもたらすとしたら、それが起こるほど与えて見て下さい。」とチャレンジしました。わたしは、ここで、献げることに関して、一見厳しく見える約束を示したいと思います。

 

 

 まず最初は、マタイ10:8です。「ただで受けたのだから、ただで与えなさい。」と言われています。神様は私たちが持っている資源そのものですから、私たちが、誰かに与えることができるようにしてくださるのです。第二コリント8:9には、「あなたがたは、私たちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。それは、あなたがたが、キリストの貧しさによって富む者となるためです。」とあります。これは、個人的な“むさぼり”が(貪欲にほしがる気持ち)解決される答えではなく、与えることが必要な場合に、それを実現するものとなります。

 

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