1.与える時の問題
マイケルという6歳の少年の話を聞いてください。それはクリスマスの話なので、本当は喜びの時であるべきだったのですが、彼にとっては、とてもそのように思えない時でした。マイケルのお父さんは、失業中で、お母さんはひどい病気でした。彼は6歳だったのですが、お父さんとお母さんに何かをしてあげたいと思いました。それで、彼はサンタクロースに手紙を書くことにして、あて先には「北極のサンタクロース様」と書いて、その手紙を投函しました。郵便集配人は、その手紙を見つけて微笑み、通常の郵便物とは別の所に置いて、休憩時間にストーブにのっているヤカンの蒸気を使って、注意深く開封しました。・・・もちろん、この様なことは特別なことで、いつもそんな事をしていた訳ではありませんが・・・次のような手紙が入っていたのです。
サンタクロース様
僕の名前はマイケルです。クリスマスに、僕に5ポンド送ってください。そのお金は僕のためでなく、パパとママにプレゼントをして、喜ばせたいのです。パパは仕事が無くて、ママは病気です。
どうかよろしくお願いします。 マイケル
この手紙を読んだ郵便集配人はみんなでお金を出し合いましたが、みんなそれぞれクリスマスに必要があったために、残念ながら5ポンドにはなりません。結局3.5ポンドにしかなりませんでした。彼らは、それを封筒に入れて、サンタクロースからとしてマイケルに送りました。彼らはマイケルから「ありがとう」という返事が来ると期待していたのですが、1月2日になって、その手紙が届きました。休憩時間に開封してみますと・・・
サンタクロース様
お金を送ってくださって、どうもありがとうございました。でも、残念なことに3.5ポンドしか届きませんでした。きっと郵便局には泥棒がいると思うので注意が必要です。
マイケル
とありました。この話は、プレセントを送る人の気持ちは必ずしもそのまま伝わるわけでないこと、またそれに伴う喜びは、プレゼントを受け取る人の受け止め方によって大きく変わる事を教えています。
第二コリント9章15節には、パウロが、「ことばに表わせないほどの賜物のゆえに、神に感謝します。」と言っています。この言葉で、パウロはクリスチャン・スチュワードシップとしての“与える”という問題に言及しています。つまり、彼の言いたかったことは、私たちが何かを与える時には、神様が十字架を通してキリストを私たちに与えようとした、そのことを動機にすべきであるということでした。