キリストの体の中の私

元執事 稲本 都子

このような信仰の領域は、姉妹がクリスチャンになって以来保ってきた信仰理念に沿うものでした。

第一にそれは、御言葉に真実・・・に自分の全生活を賭ける姿勢であり、第二に、体なる教会のメンバー(一部)として自らの奉仕、賜物、使命などを考えた生き方でした。姉妹が多くの人に愛され、頼りにされ、期待されてきたのは、実にこのためでした。
今、私たちに必要なことは、「この人々はみな(稲本姉妹は)、その信仰によってあかしされましたが約束されたものは得ませんでした」(ヘブル11-39)という御言葉の約束を完成させるために、姉妹の信仰を引き継いでいくことです。

 どんなときでも、現実のきびしさを直視しながら、それを超えて御言葉の中に主を見続けた姉妹のあの信仰を・・・
「神は私たちのために、さらにすぐれたものをあらかじめ用意しておられる・・・」(ヘブル11-40)のですから、その約束のゴールめざして進みましょう。

堺福音教会 牧師 我喜屋 光雄

 

 

「キリストの体の中の私」            堺福音教会 稲本 都子


主にある愛する姉妹へ
先日はお手紙ありがとうございました。今日は私が救われてからどのような信仰の道を歩んで、主の働きをさせていただいたか、簡単に話してみましょう。

私のイエス様との出会いはとても鮮明でした。
当時は、「新生」についての扱いがとても大切に考えられており、信仰の初歩の段階にかなりの時間をかけて導いていましたので、私も「十字架」が分かるまで、前に進めなかったのは幸いでした。罪に目が啓かれ、それまでいくら聞いてもピンとこなかった「十字架」が私の必要とぴったり結びつきましたので、文字通りすべてが新しくなったのです。その喜びと感動の故に、手当たりしだいにお友達を集会に誘ったものでした。しかし、いくらすばらしい話でも、おいそれとすぐに信じるところまでいかず、むしろ今までの私を見てきた人の目はなかなか厳しくて、よく痛いところをつかれ、シュンとなったものでした。自らまいた種の刈り取りが済み、新しい種が実るまでの期間に取り扱われ、みことばに従う生活のきびしさと、そしてまた、従った時の祝福をくりかえし教えるための訓練が続きました。今思えばこの時期に信仰生活の基本を神様が手ずから教えてくださったように思います。

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