キリストの体の中の私

元執事 稲本 都子

1986年に召天された稲本都子執事を通して、堺福音教会の歩んできた信仰の道を訪ねたいと思います。まず、故我喜屋光雄牧師による当時の追悼文「約束のゴールをめざして」、そして、稲本都子執事が病床から送られた手紙「キリストの体の中の私」をご紹介します。

 

約束のゴールをめざして

 

 稲本都子姉妹は去る1986年12月9日午後1時、この世の歩みを終えられ、天に凱旋いたしました。病気であることが分かってから、わずか数か月の後に召されたことは、姉妹自身やご家族にとって大変なことであったばかりでなく、教会にとってもまた非常に衝撃的なことでした。

姉妹は、確かに病気と戦われたのですが、癌と診断されてから召されるまでの日々は、病との戦いというよりもむしろ、信仰の戦いそのものでした。姉妹には、(また、私自身にも)癌や死にたいする恐れは全くありませんでしたが、御言葉の真実が反故にされるかもしれないという恐れがありました。ですから、姉妹は肉体の病と対決しながら、御言葉の真実を切実に求めたのです。そのような戦いの中で達し得た姉妹の信仰の境地は次のようなものでした。・・・・・雲の上高くに、キリストがすでに私たちのために確保してくださっている喜びと祝福があるのです。しかし、そこへ到達するためには、混乱と苦しみの黒雲をまっすぐに貫くはしごを上らねばなりませんでした。その雲の中は、私たちの普通の感覚を用いては、方向を知ることができないのです。 ・・・・・暗い雲を貫いて、賛美をもってのぼっていく間に、感覚に頼る気持ちが取り除かれて、神の御言葉に信頼することを学んでいくのです。賛美のはしごは、私たちを高く天に引き上げ、そこでキリストと共なる座を与えてくれるのです。その雲がなければ、私は自分の感覚と感情に頼る気持ちを捨てることを、決して学ばなかったでしょう。・・・・・
マーリン・キャローザース「賛美の力」より

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