ビジョンIIIがスタートしたのは、1988年のことです。
教会は手狭になったため、新会堂建設の可能性について調べてきましたが、この場所は風致地区で高さ制限などの規制が厳しく、大きな建設は不可 能であることがわかりました。また近隣に土地をあたってみましたが、適当なものはみつかりませんで した。そこで、1989年の総会で、条件は厳しくとも、この地で会堂を建て替えることとして歩み出したところ、間もなく堺市から、この大仙の土地を公園用地として使いたいので、その代替地に近くのD社の社宅後はどうかという話しがあり検討しましたが、やはりこの場所で会堂を建て替えるという結論になりました。しかし主に信頼して行動すれば、必ず次のステップが示されるのです。1991年に堺市から新たに若松台の土地が示されたのです。
さて、私の結婚生活の前半は仕事一筋で、家事、育児、教育は全て妻に任せきりでした。今から思えば主のあわれみでありましたが、仕事の方も順調に推移しており、まさしく自分の力でうまくいっていると過信しておりました。ところが、1973年のオイルショックによって、かつて経験したことのない困難にみまわれ、今後どのように事業を展開すればよいのか、夜も眠れない程になりました。その時、教会に行っていた妻が「あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します」というみことばを通して祈ってくれたのです。妻は教会に行くようになって、まさしくその生活が180度変わっておりましたので、その妻の言葉が私の胸のうちにすっと入ってきたのです。このようなことがあったので、その後私も神を知りたいと願い、その1年後には洗礼を受けました。