6.資金積立
新会堂建設の資金は5億円を要するものと想定し、借入れは返済能力から考えて2億円以下を堅守せねばならないとの 方針のもとに、1987年から資金の積み立てが開始されました。毎年ビジョンIII献金と呼ばれる献金と一般会計からの拠出金の 積み立てによって、その合計は1994年末には3.12億円に達し建設計画に対する資金の裏付けをほぼ確立する事が出来ました。
7.進捗
1993年、教会では大仙の会堂の容量を補うために、信徒の提案を建設委員会が積極的に推進して三部礼拝を実施しました。 更に第1礼拝の前の早天に、ビジョンIIIのための祈り会をも行っています。
時日を要した土地の問題は1994年の末、堺市の提案とその後の折衝で落着を迎えました。その大綱を示しますと
1) 堺福音教会は現教会の敷地、および物件移転に関する補償金を受け取り、堺市は若松台の土地 2,114M2(約640坪)を 堺福音教会に売却する。
2) 教会用地の地取りは堺福音教会の意向を汲んで定める。
でした。
駐車場の確保を考えた最低の広さ800坪の要望は果されませんでしたが、640坪の土地形状については教会の希望を聞いて もらえることになり、土地を有効に活用する道は開かれました。
そして、1994年12月18日の臨時総会において、堺市側の提案を受け入れ、教会移転を決議したのです。
1995年に入り、地取りを決定するなどいよいよ計画の本格的な進捗がはかられました。道路より約30mの距離に始まる 膨らみの平坦部を取り入れ、ここに教会の中心となる礼拝堂を配置する事にしました。会堂が余り奥深くに位置することは、 地域との親近感を遠ざけること、又信徒の心理が定着、安住に傾きがちとなり、ダイナミックな働きを目指す教会に ふさわしくないと考えたためです。更なる将来への含みは奥に求め、ゆとりを残しつつビジョンに立ち向かう構えを 取ったのです。当初から十分にはとれない駐車場は近隣の事情に精通した上で策を立てるほかはないと決しました。
1995年は具体化計画・設計進捗の年でした。協議を重ねて野村建設(株)の設計の基本のほぼ固まりかけた5月以降は 進捗中の図面を公開しつつ、設備について教会員の意見を聴き、7月2日には
新会堂建設の規模…延面積約787坪
予算…建設費用(本体工事):約5億1千万円
その他の工事費・備品等費用:約7千万円
を決定、発表しました。これ以降“1996年のクリスマスは新会堂で”をスローガンとして事を進めることとなりました。
その後、建設委員会に四つの作業グループを作り、有志の人を加えて備品等会堂に付随する細部の問題に幅広く対処する 態勢をとり、工事と平行にその作業を進め、全般のスケジュールを順調に進める事が出来ました。
1995年12月10日には若松台の現地で祝福の中で起工式が行われ、1996年初頭には着工、越えてその9月15日には定礎式と、 長く練られた計画に基づく建設は粛々と進みました。11月30日には新会堂の引き渡しを受け、12月3日より新会堂への移転を 始めました。12月8日に入堂式と第1回記念礼拝を、25日は会堂いっぱいにあふれる約500名の方々が集い、ユーオーデイア・ クリスマスを祝う事が出来、心からの感謝をささげました。
「あなたのしようとすることを主に委ねよ。そうすれば、あなたの計画はゆるがない」(箴言16章3節)