新会堂建設経過の報告

元執事・建設委員長 稲本 渡

3.一つの転機
 情勢の打開に心を尽くす祈りを続けていた折、総会のすぐ後の1989年3月に、教会の立ち退きの候補地について堺市からの 接触がありました。教会の隣接地ではないものの、近隣の場所で、しかも現在よりも広い500坪程の場所への移転の勧奨でした。 「これが祈りの答えでしょうか?」と、この案を受け入れるべきかどうか、種々の観点から検討の結果、受け入れは出来ない との返答を固めました。その主なる理由は、
 1) 土地は現在より広いが、その増分の土地購入費を支弁すれば、会堂に充てられる費用はほとんど無く、借り入れに 頼れば返済の重圧のために到底円滑な教会活動が出来ないこと、
 2) 進入道路が狭く、住居地域に隣接しているなど、教会活動の上で問題が生ずる可能性があることの2つでした。

 

4.閉塞の中に
 「条件が悪く、建設費がかかるとしても、現在の大仙の地に新会堂を建設しよう」との方向を1990年2月の総会でも 確認して、祈りを新たにして主を待ち望む事にしました。 建設業者を野村建設工業(株)に選定、建設委員会の中の、 新進の委員を中心として総務会を組織し、次世代の教会を考え祈っていく推進役としました。
 1991年2月の総会では「これまでの方針に沿って前進」する事を三たび確認し、基本設計の具体化に手を染める事に しました。その7月にはビジョンIIIのための祈り会を開催しました。主の示される道に沿って会堂建設を進めるべき年と 位置づけたのです。

 

5.新たなる展開
 豊かな幻を持って進むべきビジョンIIIに対する私達の祈りの応答として、局面は新たな展開を迎えました。1991年7月、 堺市から若松台の土地の情報提供がなされたのです。
 その土地の広さは約1,200坪ありますが、大阪府企業局の所有の土地で、やがて堺市に移管される見込みのもので、 その中の約600坪が教会移転対象と考えられるというものです。現地を見て私達は次代の堺福音教会にふさわしい 建設場所として積極的にこの話を受け止める事が出来ました。私に与えられたみ言葉は次のものでした。

 

 「もし私たちが主の御心にかなえば、私たちをあの地に導き入れ、それを私たちに下さるだろう。あの地には乳と 蜜が流れている。・・・主は私たちとともにおられるのだ。・・・恐れてはならない。」(民数記14章8-9節)

 

 私達は教会のためばかりではなく、市の関係者のためにも祈りました。市は終始好意的に対応して下さいましたが、 大阪府の管轄にある土地の堺市への移管、各々の内部手続きに時間を要し、特に土地の価格の変動の激しい情勢にあった ために、堺福音教会の要望に対応する土地の交換の範囲が明らかとなるには3年半の曲折を要しました。その間は土地利用の 基本計画も、ある想定の下にしか作ることが出来ませんでした。

 

 「あなたがたが神のみこころを行って、約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐です」(ヘブル10章36節)

 

 この間に世の中の経済情勢は大きく変りました。関西国際空港の建設関連その他で高騰した土地や建設資材の投機的な 高値は崩壊し、建設に適当な時が巡って来たとも言うことが出来るのです。時期が延引したために資金の積み立ても多く なり、借り入れに依存する負担を減らし得る事となりました。正に主が時を用意されたのです。

 

 「神のなさる事はすべて時にかなって美しい」(伝道者の書3章11節)

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