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堺福⾳教会についてABOUT SAKAI EVANGELICAL CHURCH

宣教理念

御言葉にいきる教会の宣教

堺福音教会のビジョン

私達の教会の宣教理念を⼀⾔で表現すると”御⾔葉にいきる教会”と⾔えよう。⻑年これを追求してきたが、礼拝堂の⼊りロホールにあるステンドグラスの”恵みの流れ”はこれを表現している。すなわち、⼗字架と聖霊の流れである。御⾔葉にとどまり、養われてきた姿である。⾔い換えると、私達は、神のことばは⽣きていて、私達の内⾯の問題に対してだけでなく、⽣活のすべてにわたって現実であるという(ヘブル⼈への⼿紙4章12節) その約束にかけて、その真実を体験してきたのである。したがって、今⽇の教会の成⻑も、新会堂が与えられたことも、御⾔葉にかけた結果と受けとめられる。決して変わることのないこのような御⾔葉の真実を証しする教会でありたいという願いが、私たちの教会のビジョンである。御⾔葉の原則にかけて⾏動するならば教会は成⻑し、新しい教会を⽣み出し、与える教会になるはずである。そのように信じて”成⻑する、⽣み出す、与える”という表現を使った具体的な宣教の⾏動理念が⽣まれたのである。

堺福音教会の宣教

私たちの教会の宣教は、牧会宣教、拡⼤宣教、世界宣教と呼ばれる3つの柱からなっている。教会の様々な働きは、この3つの分野に分類され、これらを通して賜物が引き出され多くの奉仕にあたることができる。これは(エペソ4章11-12節)に述べられている5つの職務と、それによって聖徒たちが様々な奉仕に整えられるという原則に通じている。それぞれの宣教活動を通じて、成⻑する、⽣み出す、与えるという理念が具体的になるのである。

<牧会宣教….成⻑する>

これは教会中⼼の宣教活動を意味し、宣教の最も基本的で奉仕の範囲の最も広い分野である。例えば礼拝、フォローアップ、とりなし、教会運営、会堂管理、礼典、諸集会、地域集会、会衆(壮年、婦⼈、⻘年、教会学校)活動など多くの奉仕活動がある。特に、礼拝を中⼼にして、様々な分野で召命と賜物が引き出され、油注ぎを受けた奉仕が起こされるように願っている。

<拡⼤宣教….⽣み出す>

これは教会が教会を⽣み出す働きで、宣教のゴールとも⾔えるものである。それは偉⼤な宣教師・使徒パウロの宣教に⾒られる特徴であり(使徒14章21-23節)、主イエスの⼤宣教委任の中⼼点である(マタイ28章18-20節)。これまでに、私たちの教会は教会を⽣み出し、多くの教会の設⽴を助けてきたが、現在では、東京、群⾺、長野、愛知、岡⼭という形で働きの場所を持つようになっている。⽣み出された教会は、そこからまた新しい教会を⽣み出すという共通のビジョンをもって⾃⽴を⽬指し、お互いに交わりを保ちつつ、共に協⼒していくのである。

<世界宣教….与える>

これは世界的視野で宣教を考え、対外的な必要に与えていく働きである。そのために、従来は”海外宣教”あるいは”対外宣教”と呼んでいたものを、1998年度の総会において思い切って”世界宣教”の名称にした。それによって私たちの意識が世界的視野に広がることを願ったからである。世界宣教は与えるスピリットの表現の場であり、家の窓に例えられる。窓のない家を考えることが出来ないように、教会も外に与える宣教の働きを無視することは出来ない。教会が⾃分のことばかり考えていると、やがて息苦しくなり、空気はよどんで視野が狭くなり、いずれ衰退する。神の国の法則は”与える”ことであるが、これは⾃然界の法則と同じである(Ⅱコリント9章8-15節)。私達の教会は1961年以来⻑年にわたって、この宣教の働きを通して神の経済法則(Ⅱコリント9章9-10節)が真実であることを証ししてきた。すばらしい新会堂を含めて、多くの点で祝福されてきた事は、その結果であると確信している。 (1998年度の総会資料から編集) 堺福音教会の礎は、1949年に来⽇したスウェーデンからの宣教師ヘルゲ・ヤンソン先⽣夫妻によって築かれ、そのルーツは北欧スウェーデンにあります。第2次⼤戦後の混乱期に、聖書を通して⼈⽣に希望を与えるために来⽇した先⽣夫妻によって、沢⼭の⼈達がイエス・キリストに導かれました。

堺福音教会

その中に我喜屋牧師夫妻もおりました。⼀条通りにあった洋裁学校を借りてはじめられた宣教活動が進展し、1960年には⼤仙中町に会堂を建設し、1997年に泉北・若松台へ移転しました。

堺福音教会

1961年には将来の牧師を育てるための聖書学院を開設し、ここで育てられた⼈達が奈良、和歌⼭、岬、⼋尾へと派遣され教会を形成していきました。その結果、現在では関⻄地区を中⼼に北は東京から、南は九州まで約50の教会が「⽇本福⾳教会」と呼ばれるグループを形成するまでに成⻑し、⽂部省の認可を受けた宗教法⼈として登録しております。

堺福⾳教会は、グループの中で最初に作られた教会として常にこの団体の中⼼になり、我喜屋光雄牧師は1990年まで理事⻑として、その宣教活動をリードしてきました。さらに、2014年には我喜屋明牧師が新たに理事⻑に就任され、この流れを継承されています。この団体は、各地⽅教会の独⾃性を尊重しつつ正統的な聖書信仰に⽴って、お互いに協⼒し合う連合をモットーにしており、その運営には、北欧に根付いている穏健な⺠主主義の影響を強く受けています。スウェーデンから多くの宣教師を⽇本に送り出した団体は、スウェーデン・オレブロ市に本部を持つオレブロミッションと呼ばれ、⽇本だけでなくバングラデシュ、タイ、ネパール、モンゴルなどのアジア諸国の他、ブラジルやアルゼンチンなどの南⽶、エチオピアやウガンダなどのアフリカヘも多くの宣教師を派遣しております。

堺福⾳教会の特徴

堺福⾳教会はスウェーデンからの宣教師によって始められたこともあって、北欧的精神⾵⼟の特徴である⼈間性の尊重、極端になることを嫌い、中庸を重んじる精神、素朴で簡素な感性などを引き継いでいます。これが教会活動のあり⽅や運営に豊かに反映され、⼈と⼈とのつながりを何よりも⼤事にしております。その結果として、これまでに富⽥林、河内⻑野、泉北に新しい教会を⽣み出し、さらに東京、群⾺、⻑野、愛知、岡⼭において伝道所を開設し、⾃然な形で教会活動を拡⼤しています。さらに、国際的な教会活動にも特徴を持っており、スウェーデン、ノルウェー、フィンランド、アメリカ、カナダ、ロシア、インドネシア、ルーマニア等の⼈達との交流を重ねてまいりました。地域の⼈達とも同じような精神で、そのつながりを豊かにしていきたいと思っています。

礼拝出席者と教会員

1952年2⽉3⽬、23名の教会員で教会を設⽴した堺福⾳教会は、1975年には100名を越える⼈達が集まる礼拝を持つようになりました。現在では毎⽇曜⽇に3度の礼拝プログラムが持たれており、⼀度の礼拝に150〜160名が集まっています。教会には、⼩さな⼦供から⽼⼈に⾄るまで幅広い年令の⽅が集っていますが、最も多いのは家庭の主婦で全体の約半数近くを占めており、「Olive」を構成しています。結婚している男性は「Joshua」と呼ばれるグループを、また結婚前の⻘年達は「Wing」という名称で様々な活動を展開しています。また、高校生以下の年齢の子供達には年令に合ったそれぞれのクラスも持たれております。

教会活動

堺福⾳教会の最も重要な教会活動は⽇曜の午前に⾏われる礼拝と、平⽇に⾏われる「集会」、⾦曜⽇午前中に持たれる婦⼈のための集会で、そのほか⻘年のための集会や祈り会があります。⼩中学⽣や⾼校⽣に聖書教育を⾏う教会学校は⽇曜⽇の午前中に持たれております。⼦供達のための教育活動には⻑い間⼒を⼊れてきました。乳児から⾼校⽣まできめ細かく⽤意されている多くのクラスとプログラムは、約30名の奉仕者によって⽀えられています。

教会学校では、⽇曜⽇ごとの聖書教育の他に、ピクニック、夏のキャンプ、クリスマス集会などを計画し、特に教会周辺の⼦供たち対象に⼟曜⽇にはレインボーキッズを開催して地域杜会との交流を深めています。⾳楽⾯ではゴスペルミュージックやクラッシックなど、さまざまなジャンルの⾳楽を対象とした数多くのコンサートを開催しています。教会堂を使ったバッハ⾳楽のコンサートなどのほか、堺市⺠会館⼤ホールを使った⼤がかりなクリスマスコンサート、泉ヶ丘駅前のビックアイ・ホールでのレーナ・マリアコンサート、和泉中央駅前の弥⽣の⾵ホールにてクリスマス・ゴスペル・ジャズ・コンサートなど、教会外のホールでも開催しています。また、恒例のクリスマス燭⽕礼拝のコンサートには毎年楽しみにされて集われる地域の⽅もおられます。 また、壮年を中⼼に聖書講演会や教育講演会なども開催しており、教育間題、⽼⼈福祉間題、家族や夫婦間題などについて、沢⼭の⼈の必要に応える努⼒を重ねているほか、婦⼈が中⼼になってバザーを開催し、さらに、様々な社会活動にも経済的、⼈的な協⼒、⽀援を続けております。

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