宣教献金の祝福

6.チャレンジ

 さらに、私たち自身が宣教の働きをしなければならないことを覚える必要があります。ジョージ・ミューラは、長年にわたって立派な働きをして、晩年は70歳を過ぎていましたが、説教のために旅をし続けました。しかしながら年齢は、私たちにとってどうしても乗り越えられない壁です。いつかは誰かが代わらなければなりません。

 

 数年前、ある聖会で、“十分の一献金”を勧める話をしましたが、教会の予算の10%を宣教のために献金するといえば、かなりの額になりますので大変ですと言われました。その時、私は、カナダのトロントにあるピープルズ・チャーチ(オズワルド・スミスが創立した教会)の話をしました。彼らは、十分の一以上の献金を宣教のために献げることで有名です。それを通して大きな祝福を受けてきたのです。それが、神様の法則です。

 

 しばしば、“国は彼らのために何もしてくれない”と言う人がありますが、私は北インドで、らい病の人たちのために訓練を受けていた時に聞いた話を思い出します。らい病の人たちは毎週、彼らの必要な、わずかのお米を受け取りました。そうすると、彼らはそれをもらって家に帰り、そのうちの十分一をすぐに分けて、別に取っておきました。それを、次の礼拝で献げ物にするためです。彼は、間違いなく神様の祝福を受けたに違いないと信じます。

 

 一人の日本人の牧師の話をしたいと思います。名古屋の近くの西尾市にあるバプテスト教会の牧師ですが、彼の信仰と献げる姿勢はとてもすばらしいものです。彼は、あるとき十分な給料をもらっていた仕事を辞めて、牧師になりました。その教会は自分の手で建てたのです。奥様は、経済を支えるために掃除の仕事に出かけたそうです。1989年に彼に出会った時、4人の十代の子供たちを預かっていました。彼らは、様々な障害や問題を抱えている子供たちでした。彼らをサポートしたいという気持ちで、毎年彼らのために祈り、クリスマス・アピールとして献金を呼びかけているのは、そのような理由からです。この献金に参加してくれている、堺福音教会の兄弟姉妹に感謝しています。皆さんの信仰献金は、間違いなく正しく、神様のために使われています。

 

7.献げた結果

 箴言11:24-25に「ばらまいても、なお富む人があり、正当な支払いを惜しんでも、かえって乏しくなる者がある。おおらかな人は肥え、人を潤す者は自分も潤される。」とあり、伝道者11:1には「あなたのパンを水の上に投げよ。ずっと後の日になって、あなたはそれを見いだそう。」とありますが、これらの言葉については、全く心配する必要はありません。私たちの教会のモットーであるみ言葉で、私のネクタイに印刷してあるものは、マタイ6:33で「だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。」  この原則は本当でしょうか? ご存知の方も多いと思いますが、カナダのトロントにあるオズワルド・スミスが創設したピープルズ・チャーチのことを少しお話したいと思います。この教会は、多くの借金を抱えており、経済的にはかなり大変な教会でした。オズワルド・スミスは“宣教のために献げない教会は病気になる”というのは彼のモットーでしたから、それを実行して、宣教師のために多くを献げました。それは1930年、大恐慌というあの年に始まりました。私が、その話について読んだのは1956年でした。その時、彼らの教会は、朝の礼拝も、夕方の礼拝も2,000人の人でいっぱいでした。もちろんたくさんあった借金は返済していました。さらに、360人の宣教師をサポートしていたのです。神様は、オズワルド・スミスが書いた、「宣教へのチャレンジ」(神に用いられる人:いのちのことば社刊、松代幸太郎訳)を用いて、私をこのような働きに招いてくださったのです。

 

 北アイルランドのルーゲンの教会で話をした時のことです、カノン・ロッカートが牧師でした。確か1974年だったと思います。アイルランド共和国軍は教会の向いの警察署を爆破しました。教会そのものを爆破する代わりに警察を目標にしましたが、当然教会も大きな影響を受け、ホールが壊れました。教会の財務委員会はその事件が起った後すぐの月曜日に開かれました。彼らには、宣教のために計上していた十分なお金があり、そのお金をホールの修理のために使いたいという必要があったのですが、彼らは、当たり前のようにすべてのお金を宣教のために献げたのです。私は、その後すぐに教会のホールは修理されて教会が祝福されたことを聞いて、驚きませんでした。それが神様の方法だからです。その教会は今でも繁栄しており、宣教のために多くを献げています。 

 

 最後に、1958年に開催された、ランベス聖会での宣言を紹介して、終わりたいと思います。「クリスチャン・スチュワードシップを正しく受け入れる以外に、前進できる方法は全く無い。スチュワードシップによってのみ自分自身を正しく認識できる。すなわち時間、才能、お金・・・それらは神が我々に託されたものであり、神に仕えることを通して生かされるのである。この教えは、すべての者にとって緊急の必要である。このスチュワードシップを持たない教区は、間違いなく衰えていくであろう。」

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