与えることは祝福の原理

マルコム・ウェディカム牧師(聖ピリポ&ヤコブ教会)

8.神様が望んでいるチャレンジ

 もしかするとあなたは、「旧約聖書は好きでない」とか、「パウロの言葉は好きでない」と言うかもしれませんが、それなら、教会の頭であるイエス様の言葉なら聞かれるでしょうか? ルカ6章38節を見てみましょう。「与えなさい。そうすれば、自分も与えられます。人々は量りをよくして、押しつけ、揺すり入れ、あふれるまでにして、ふところに入れてくれるでしょう。あなたがたは、人を量る量りで、自分も量り返してもらうからです。」とあります。これに従いましょう。

 

 もう一度言いますが、”与える事(献げること)“は、あなたにとってすばらしいことなのです。祝福は自動的に与えられるものではありません。申命記26章12-15節をもう一度見て下さい。「第三年目の十分の一を納める年に、あなたの収穫の十分の一を全部納め終わり、これをレビ人、在留異国人、みなしご、やもめに与えて、彼らがあなたの町囲みのうちで食べて満ち足りたとき、あなたは、あなたの神、主の前で言わなければならない。「私は聖なるささげ物を、家から取り出し、あなたが私に下された命令のとおり、それをレビ人、在留異国人、みなしご、やもめに与えました。私はあなたの命令にそむかず、また忘れもしませんでした。私は喪のときに、それを食べず、また汚れているときに、そのいくらかをも取り出しませんでした。またそのいくらかでも死人に供えたこともありません。私は、私の神、主の御声に聞き従い、すべてあなたが私に命じられたとおりにいたしました。あなたの聖なる住まいの天から見おろして、御民イスラエルとこの地を祝福してください。これは、私たちの先祖に誓われたとおり私たちに下さった地、乳と蜜の流れる地です。」この祈りをしている人は、決して“私を祝福してください”と言いませんでした。それよりも、“あなたの民を・・・つまり教会を・・・祝してください”と言ったのです。その結果、すべての祝福がこの祈っている人に与えられたのです。 

 

 おしみなく献げることが、聖書の方法であることを知ってくださったでしょうか? でも、本当だろうか? そんなに簡単にそれが実行できるかどうか、心配しておられますか? 私は、なんとかそれが実行できるように願っていますが、もう一つのみ言葉の約束を示すことにしましょう。どうか、祈りつつ、実行してみてください。神様の約束は「善を行なうのに飽いてはいけません。失望せずにいれば、時期が来て、刈り取ることになります。」です。  

 

 最後に、皆さんに宿題を出したいと思います。チャールズ・ディケンズのクリスマス・キャロルという有名な小説をご存知でしょう。これの最後の章をぜひ読んでみてください。そこから、きっと教えられることがあるでしょう。そして、第二コリント8章と9章も一緒に読んでください。これが、パウロの教えです。ここで、箴言21章26節、28章27節を読んで終わりましょう。  「正しい人は人に与えて惜しまない。」  「貧しい者に施す者は不足することがない。」   祝福を祈ります。

 

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