与えることは祝福の原理

マルコム・ウェディカム牧師(聖ピリポ&ヤコブ教会)

6.献金の使い方

 献金の使い方については、新約聖書は旧約時代に定められたものをサポートしています 第一コリント9章14節には「同じように、主も、福音を宣べ伝える者が、福音の働きから生活のささえを得るように定めておられます。」、第一テモテ5章17,18節には「よく指導の任に当たっている長老は、二重に尊敬を受けるにふさわしいとしなさい。みことばと教えのためにほねおっている長老は特にそうです。聖書に「穀物をこなしている牛に、くつこを掛けてはいけない。」(申命記15章4節)、また、「働き手が報酬を受けることは当然である。」と言われているからです。」と言われています。ここで、二重という言葉は、2倍の給料を得たということを意味しています。マタイの10章10節では、イエス様が「働く者が食べ物を与えられるのは当然だからです。」といわれた事が書かれています。すべての教会は牧師の生活が十分に支えられるようにする責任があるのです。 

 

 新約聖書は、お金は必要のために使うべきであることも教えています。使徒4章34,35節には「彼らの中には、ひとりも乏しい者がなかった。地所や家を持っている者は、それを売り、代金を携えて来て、使徒たちの足もとに置き、その金は必要に従っておのおのに分け与えられたからである。」とあります。また、6章には、やもめを世話するために7人が選ばれたことが記されています。彼らは聖霊に満たされている人を選んだのです。

 

 もう一度言いますが、新約聖書は旧約聖書に定められている標準(律法)を確実に保障し、それをする動機を愛にしています。与えることは、神の恵みに対する応答なのです。聖書はこの“与える”という問題に関して、非常に率直に語っています。なぜ私たちはこの問題に対してうまくいかないのでしょう。わたしは、みなさんに聖書をもっとよく調べて欲しいと思います。

 

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