与えることは祝福の原理

マルコム・ウェディカム牧師(聖ピリポ&ヤコブ教会)

2.与える時の原則 “十分の一”

 ハイミという、ユダヤ人の少年がおりました。彼はアイルランドのカソリック教会で少年クラブに出席していましたが、ある時、その教会の司祭が子供たちに、「歴史上で最も有名な人を最初に言えた人に5パント(このお金の単位はアイルランドが最近になってユーロを使うまで使用していました)あげよう」と言いました。ハイミはさっと手を上げて、「聖パトリック」(この人はアイルランドの歴史では非常に重要で有名な人であった)と叫びました。それで、彼は5パントを手に入れました。しばらく経ってから、司祭は少年に聞きました、「ハイミ、君はユダヤ人なのに、やはり聖パトリックが歴史上で最も重要な人だと本当に思っていたのか?」するとハイミは「ウム・・・本当は、僕の心に浮かんだのはモーセだったけど、ビジネスはビジネスだから・・・」と答えたのです。イギリスでは、ユダヤ人のことを説明するためによくこのような話をしますが、ユダヤ人は世界中で最も賢い人で知られています。

 

 私は、なぜ彼らが賢いと言われているか知って欲しいと思います。というのは、彼らは「与える」ということの本質を知っていると思うからです。申命記の14章22節には、「あなたが種を蒔いて、畑から得るすべての収穫の十分の一を必ず毎年ささげなければならない。」とあります。この“十分の一”について言及されているのは、聖書の中でここが最初ではありません。実は、創世記14章20節には、アブラハムが戦いから帰った時のことが書かれています。彼は、王であり、いと高き神の祭司であったメルキゼデクに会った時に、「すべての物の十分の一を彼に与えた。」のです。それは、メルキゼデクがそれまでに受けた何よりもすばらしい愛の献げものであったに違いありません。創世記28章22節には、ヤコブが神様の争った後に「私に賜わる物の十分の一を私は必ずあなたにささげます。」という有名な約束が書かれています。

 

 さて、ユダヤ人は、自分の持っているすべての十分の一を与えることを言っているだけでなく、それをどのように使うかについても述べています。申命記14章29節を見て下さい。「三年の終わりごとに、その年の収穫の十分の一を全部持ち出し、あなたの町囲みのうちに置いておかなければならない。あなたのうちにあって相続地の割り当てのないレビ人や、あなたの町囲みのうちにいる在留異国人や、みなしごや、やもめは来て、食べ、満ち足りるであろう。あなたの神、主が、あなたのすべての手のわざを祝福してくださるためである。」 彼らはお金を二通りの方法で使いました。一つは、レビ人のために使いました。これは、現代風に言い換えると、神のための働き人に使ったのです。もう一つは、社会的な弱者のため・・・在留異国人、みなしご、やもめ・・・に使いました。その結果、彼らは「来て、食べ、満ち足り」ました。それは、“主が、すべての手のわざを祝福してくださる”ためでした。ですからここで、“人殺しであってはならない”と言われる方は、“あなたが得たものの十分の一は別に取って置くように”言っていることを心に留める必要があります。 

 

1 2 3 4 5 6 7

メニューアイコン ページトップへ